「お前だって、彼女の為に、退学したんだろう?」
そうだ。魁流は、鈴のために退学をした。唐渓のような醜い世界に身を置く事など、鈴は望んではいないはずだから。
生前からそうだった。だが、魁流が鈴を引き止めていた。
「彼女の為に中退して、その結果が情夫か」
「そんなんじゃない」
素早く否定するも、慎二は笑うだけ。
「ただのペットショップの店員が、いちいち仕事で地方にまで付いてくるのか?」
「それは」
魁流は少しだけ唇に力を入れる。
それは、そういう条件だったから。
「女性の接客?」
ポカンと口を開ける魁流に、ペットショップの店長はきまり悪そうに顎を掻く。
「最近はペットブームで、特に独身の女性だとか主婦なんかが多いんだが、けっこう過保護な飼い主もいてな。まぁ、ペットに何か問題があったらその矛先になるのは動物病院なんだが、こういった店に相談しにくる客も多くてな」
「そういう客の相手をしろと?」
「俺だって店を構えている身だ。動物好きだし、好きでやってるワケだから、もちろん客の要望には答えるよ。だがな、病気だか躾だかの相談に来る客ってのは、話を聞いているうちにだんだんと自慢話に変化していくワケよ。聞いてるこっちは、で? 結局は何が聞きたいんだ? って事になる。しかも最近の若い女性ってのは我の強い人間も多いみたいだし、情報やら知識やらはテレビや雑誌やネットってヤツから豊富に得ているらしくって、しかもそれがすべて正しいと思い込んじまってる人も多い。家族と同居しないで独身で一人暮らしをしているか、していてもほとんど顔も合わせないって人が寂しさ紛らわすために飼ってるなんて場合だと、そもそも人と相談して物事を決めるってスタンスが身に付いていない。だから、会話をしながら物事を決めるって事ができねぇみてぇなんだよ」
店長は、本当に困った表情で上目遣い。
「相談に来たんだろうからこっちとしてもあれこれアドバイスはするんだけど、こっちが何かを言うと、それはおかしい、本にはこう書いてあって自分はその通りにやっただけだと主張する。そんな事を言われてはこちらとしてはどうすればよいのかわからない。意見を言えば反論され、言わなければ頼りにならないと責められる。どうすればいいのかわからなくって、同業者だとかに相談したら、そういうのはひたすら話を聞いてやればいいんだって言われたんだよ」
「ひたすら、話を?」
魁流の言葉に相手は頷く。
「ようは、話し相手を欲しがってる爺さんや婆さんのようなモンなんだとさ」
「はぁ?」
「そもそもは日常の寂しさを紛らわす為にペットを飼った人間だ。寂しいんだよ。だから、誰かに話を聞いてもらいたいのさ」
「そのためにわざわざペットショップに?」
「ペットは口実さ。自分の日常を誰かに話たい。ペットの話ならここでなら盛り上がるし、場違いでもない。すべての客がそうだとは限らないんだがな。でもよ、俺はただのペットショップの店員だ。そのうえガサツで、聞き上手でもねぇ。だからそういう客が来ると、正直困るワケよ」
「それで、僕に?」
今度は強く頷く。
「お前さんは、見たところ人当たりもよさそうだ。宗教なんてモンに入れ込んでたんだから、人の話を聞くのが億劫だなんて性格でもないんだろうし、なにより、見た目もいいしな」
そこで苦笑する。
「客の方も、俺みたいなジイさんなんかより、お前みたいな男と話をしていた方が楽しいんだろうしな」
「僕は」
魁流は戸惑った。
動物に囲まれて暮らす。それは、ある意味では鈴が望んでいたような生活なのかもしれない。だが、自慢話をしにくるような客の相手などを押し付けられても、正直できるかどうかもわからない。なにより、動物は嫌いではないが、それほど詳しいというワケでもない。仕事だってきっと大変なんだろう。それに加えてクセのある客の相手など、できるのだろうか?
「考えるのは自由だ。時間もいるだろう。今日はどうする? 宗教んトコロに戻るのか?」
言いながら腰をあげる。
「まぁ、一晩泊まってけよ」
「え?」
見上げる魁流を鼻で笑う。
「とりあえず、マトモな食事くらいは出せる。男の一人暮らしだから、美味い不味いは保障しねぇがな。ま、質素という言葉で信者の食いモンをケチってるトコロよりかはマトモな食事だとは思うぜ」
迷った挙句、魁流は店長の家に泊まった。
祈るよりも、働け。
その言葉が、魁流の心に刺さった。
一人でも多くの人を救いたい。争いの無い穏やかな世界に人々を導けるよう、魁流は必死に頑張った。だが、未だに努力は実ってはいない。
努力というのは実るまで続けてこそ初めて努力と言えるのだ。そんな言葉で叱咤され続けてきた。もっともだと思う一方で、だが、この努力は果たして正しい方向へ向いているのだろうかと、疑問に思う事もある。
そもそも、こんな方法は間違っているのかもしれない。ただひたすらにこちらの言い分を主張していても、相手は聞き入れてはくれない。
店長が言っていたように、人々はむしろ自分の話を聞いてもらいたいと思っているのではないだろうか? ひょっとしたら、鈴はこういう仕事に就く事を、望んでいるのではないだろうか?
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